大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所 昭和43年(う)363号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕よつて、記録を調査し検討するに、被告人が原判示日時場所において同判示のような方法で、本件被害者中島秀雄を突き刺して死亡させたことは原判決の挙示する各証拠により明白であり、また右各証拠によれば次のような事実を認めることができる。

被告人は昭和二一年六月林兼造船株式会社下関造船所に入社し以来同造船所第三工場総務課倉庫係として勤務していたものであり、昭和二八年五月小坂美知子と結婚し、一男二女を儲け平和な家庭生活を営んでいたが、昭和三七年頃から妻美知子が勤めに出るようになり、同女の生活態度が乱れ、家庭内に風波が立ちはじめ、そのうえ同女がその頃隣家の本件被害者中島秀雄と情交関係を持つに至り、同女の被告人に対する態度も冷たくなり、そのため夫婦関係は急速に悪化し、遂に昭和四二年四月同女は家出するに至つた。被告人はその後同女に家に帰るよう直接、あるいは、同女の実妹花宮つね子を通じて間接に、何回となく話したが、同女が家に帰る様子は一向に見られなかつた。そのうち、被告人は同女が右中島と情交関係があることを聞知するに及んで、同女が家に帰つて来ないのも中島と右のような関係があるためだと思い込み、その頃から中島に対する憎しみの気持が急激に増大し、夜も眠れない程の懊悩の日々を送るようになつた。同年一二月末に至り、同女から離婚の話を持出され、被告人はやむなく離婚届に押印し、ここにおいて同女との離婚という決定的な破局を迎えた。このとき以来、被告人は激しい精神不安に落ち入り、会社の仕事も全く手につかない状態となり、頭の重苦しい毎日が続き、世の中の人々が自分の悪口をいつているような、また世の中の人々からいつも自分が追われているような気持になり、特に眠れない夜などには中島が自分の悪口をいつているような気持がするなど、次第に精神状態に変調を来たしはじめ、昭和四三年三月末頃から特に頭痛が激しくなり、同年四月一日は頭痛のため昼過頃会社を早退して帰宅し、就床したが、その夜は殆ど眠れなかつた。翌四月二日、被告人は自宅で食事もしないで寝たり起きたりしていたが、同日午前一〇時頃六畳の間のたんすの前に立つているとき、隣家の西村方から境の板壁越しに幻聴で、「柿本をばらそう」という中島の聞を声いたため、恐ろしくなつて部屋におることができなくなり、中島が自分をばらすのなら、いつそのこと自分の方から先に同人方に行つて、同人を殺す気になり、自宅を出て金物店で刺身庖丁を買い求め、弟の柿本弘忠方に立寄つた。その際、被告人は義母の柿本タキを手招きで呼んで同女の耳に口を当てるようにして、「中島は鬼どな、本当に鬼どな、わしのことを共産党といつておとしいれる、本当に悪いやつじや」と話しかけたりなどした。被告人は右弘忠方で食事をとつてから同家を出て、同日午前一一時二〇分頃右刺身庖丁を携えて下関市彦島江の浦五町構内タクシー彦島営業所を訪れ、中島の住む同所二階に赴き、二階六畳の間のこたつに入つて妻や孫と一緒に食事をしていた中島秀雄の左脇腹あたりを右庖丁で力一杯突き刺し、すぐに二階から降りて同市所在彦島警察署に自首したものである。

以上認定の事実に、<証拠略>をあわせ考察すると、被告人は妻が家出をした昭和四二年四月頃から精神状態が不安定になり、次第に幻聴、関係妄想を体験するようになり、同年一二月末妻と協義離婚の後はますます幻聴、妄想は強くなり、本件犯行時以前からすでに精神分裂病に罹患し、犯行当時は幻聴、関係被害妄想に支配されていたもので、本件犯行はこのような幻聴、妄想に基づいてなされたもので、病的判断による病的行為であることが認められる。従つて被告人は、本件犯行に際し、右のような精神障害により、その是非善悪を弁別する能力及びその弁別に従つて行動する能力を全く欠いていたものであり、結局被告人は本件犯行当時心神喪失の状態にあつたものと認めるのが相当である。してみると、本件犯行当時被告人は心神耗弱の状態にあつたと認定し被告人に対し有罪の言渡しをした原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があり、原判決はこの点において破棄を免れない。(高橋文恵 久安弘一 渡辺宏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!